こんにちはブロガーやってますこーんです。
はてなブログで今年の7月からはじめてまもなく6ヶ月が過ぎようとしています。
はじめたきっかけは「文章が書けるひとになりたかった」からです。
それともうひとつ。
毎日の生活が消費によって消耗していると感じるように消費にたいしてストレスを感じるようになったこと。
ゲームや釣りに何千時間もかけているけどそれも殆どは時間的消費と考えるとまるで何かロウソクの火を燃やしているような焦燥感にかられてしまったのです。
限りある人生を考えれば時間ほど無駄にしてはいけないものは無いからです。
体験は宝物。
消費している。
考えかた次第でもちろん消耗にも取れるし体験から多くの経験を得て学びや気づきとなって生きていくうえの糧になっていると思います。
しかし本能も煩悩も自重が必要です。
つまりやりたい放題では駄目なんです。
食べたいから食べるではいくらでも太ります。
当たり前です。
ただそれを我慢しながら食べ続けるのか、理解し意識するか心の持ちようでだいぶ違います。
ようするに考えろということです。
考えて行動しろという窮屈な話ではありません。
消費から消耗を生むのではなく何か生産に繋ぐということです。
食べることも食レポしてみたり反対に痩せるための食べ方を研究するとか生産に変換できます。
何かのために仕事を頑張る。
海外旅行に行きたいから頑張る、ゴルフに行きたいから頑張る。
悪くないモチベーションの保ちかただと思います。
ただひと味加えると、
いろんなひとにわたしの好きな海外を知ってもらおうと本を書くために海外に行く。
初心者がシングルになるまで方法をブログで公開しようとコースに通うのとでは何かが違いますよね。
そう、旅行やゴルフに行くのが目的だったのが違う目的に変わってやってることは同じなんだけど生み出す結果が違うんです。
やるかやらないかは気がつくか気がつかないか。
わたしは部屋の整理整頓が苦手です。
まず綺麗に保つ必要性がないから。
綺麗に保つために掃除をするなら多少ものが散乱しててもどこに何があればいいか分かればいい。
そういう考えです。
しかしいざ物が溢れて手に負えなくなるとさすがに片付けます。
しかし片付け始めるとA型の本領を発揮します。
どこに何があればいいかではなくどこに何を置くのがベストか、見た目と機能性の発揮できる配置はどうかとまるで180度人が変わります。
同じような経験の人もいると思います。
片付けをしない自分ととことんストイックに片付けをする自分と何が違うんでしょう。
まあなかには片付ける手間を省くために片付けるという人もいるかもしれませんが明らかに片付けにたいしての目的意識が違うわけです。
これがさすがに部屋がゴミに埋もれてからではなくその前に気がつけるか?これが気づきの大事さですね。
気づきは壁と客観性。
わたしの経験の中で気づきには2つの方法があると思います。どっちが良いとか悪いとかではなくて。
ひとつは壁。
限界といってもいいですね。
簡単な例でいえば自分の人生のなかでいろんな不幸が3つ重ねてやってきたことがあったんですね。
まあボカしても分かりづらいのではっきりいうと仕事と恋人と住むところを1度に無くした訳です。
どれかひとつでもまぁまぁ不幸ですよね。
それが3つ同時だとかなり最悪ですよ。
不幸は不幸を呼ぶものなんです。
人生どん底ってやつですね。
モチベーションがマイナスゲージですから死にたくもなるわけです。ネガティヴになるとドンドンとネガティヴになります。
そうすると死のうとか思うわけじゃないですか。
自然の流れです。
どうやって死のうかなんて考えるわけですよ。
1時間考え2時間考え。
するとある感情がニュルニュルと生まれてきたんです。
「俺って死ぬ気でなんかやったことあったけ?」
死ぬ決心がついたならいちど死ぬ気でやってみてそれからでもいいじゃないか?
自分でも不思議な感情でした。
死ぬことから逃げてる訳じゃないんですよ。
むしろ逆。
なんていうか勇気というポジティブシンキングに変わるんです。
どん底上等。
あとは上がるだけ。楽しいことしか待ってないじゃないか。
株を底値で掴むのと同じです。
人生最大のプロフィットを生むことが分かってて落ち込んでるバカがいますか。
それに気づけたのは大きな壁にぶつかって打ちのめされたからです。
だからピンチはチャンスというのは本当なんです。
そして気づきにはもうひとつあります。
それは客観性。
いろんな言い方や意味がありますが、まずは自分の意見をどんどんぶつけることです。
意固地になるというのではありません。
とにかく発言すること。
よく喋ること。
相手を自分の考えで説き伏せるではありません。
自分を表現するということです。
まぁもう少し簡単な方法なら何でも聞くことです。
わたしは聞くのが苦手なので発言によって相手の様子をうかがうほうが多いですがどっちでも一緒です。
相手に聞いて自分の考えとどう違うか、相手がどう思っているかではありません。
どう思っているかはあなた自身がが分かって話していますから。
まぁ分かっているというより相手をイメージして話をしているはずということです。
そして相手の話を聞いて考えるわけです。
自分と何が違うか。
違うということは相手の評価ではありません。
自分にたいする自分自身の客観的な評価のことです。
自分という人間を見るときに洋服であれば鏡に映りますが考え方や自分という人間とはということを知るには自分で考えてもロクなことはありません。
あれです。
自分の息が臭いと思い込んでる人と同じです。
勝手にそう思ってるだけで事実と異なることに心が左右されてるということです。
自分の心の鏡はコミュニケーションによって生まれます。人と話すことで人より自分が分かる、理解できることを感じることが気づきにつながる大きな起点になることが多いです。
身の周りにはいろんな鏡がありますからね。
自分を育てる。
気の持ち方でプラスにもマイナスにもひとは変化します。
身体は老いても気持ちは若いなんて当たり前です。
心は衰えるものではないからです。
もし気力が湧かないなら成長実感が生まれていないからでしょう。
それは気づきであることはこれまで書いたとおり。
心が変化することで人は今よりも成長していくと思います。
去年より今年は成長できたでしょうか?
わたしは少しアップグレードしたと感じてます。
来年はさらに成長したいと思います。
ではまた!