「子供には子供の時間がある。」
今年の顔といえば若干14歳3ヶ月でプロ棋士になった藤井聡太くんではないかと思います。
この言葉はご両親の子育てにおける考えかたとして紹介されていたんだけどなかなか出来そうで出来ないことなんですよね。
ついつい大人の意見をしてしまうことが多いと思うんです。
「育てかた」と「しつけ」とは似て非なるもので例えば「善悪」を教えることは大切だけど理由をつけないと理解できないというのはちょっと違うと思います。
「法律」だからというのもまったく違います。
自分の胸に問いかけて良いか悪いかを判断できる心の自立が必要なんですね。
生き物の時間。
70年生きるゾウと2年しか生きないネズミ。
寿命の長さこそ違えど生涯を通じて脈を打つ回数は同じといいます。
つまり流れる時間のスケールが違うというわけです。
5歳から将棋をはじめてキャリア9年の藤井4段がキャリア40年の9段の棋士に勝てるのは何故なのか?
わたしは時間をうまく使ったんだと思います。
感性や才能だけではないのではないかと。
子供と大人では時間の感覚がまるで違います。
大人になるとあっという間に時間が過ぎていきます。
これは本当にそうだと思います。
同じ時間を与えながらもどのように時間を使うか、そして子どもでも大人とは異なるスケールで時間を圧縮して多くの時間を得ることができるのではないかとそう思いますね。
それを与えてくれた両親もすごいなぁと。
自分も親になるとそのすごさが分かるわけです。
子どもが大人と同じように週末や冬休みを楽しみにして普段を過ごしていると思うと勿体ないなと感じます。
子どもたちにはもっと好きなことに没頭できるように育てなくてはなぁと考えさせられます。
楽しくなくなったら終いだ。
先日の番組でプロゴルファーの宮里藍ちゃんの引退番組を観ました。
最初は何かとんでもない理由があって辞めるのかと思っていたのですが、選手としてピークを過ぎただから辞めるというものでした。
ゴルフは青木プロやジャンボ尾崎プロがまだ現役のように生涯スポーツとしてその道を極めるスポーツだと思っていたのですがそうじゃなかったんですね。
意外だったのと現役生活ってそうやって終わらせることもあるんだなとハッとしました。
確かに自分も成長実感のない状態で同じことを繰り返すのはとても苦痛に感じると思います。
藍ちゃんはそれをこの歳で感じたわけです。
人によって時間の感覚は若いから老いてるから長いから短いからでは無いんですね。
人よりも濃厚な時間を過ごすこと何も起きずにただ過ぎていく時間では同じ時間でも密度がまるで違うというわけです。
無の時間をいかに減らすか。
わたしがこのブログをはじめたキッカケにもなった消費にウンザリして消耗してきたこととは今思えばこの「時間の感覚」のことだったんですね。
ゲームであっという間に過ぎる時間。
毎日の往復3時間の通勤時間。
ただデスクワークで進む仕事の時間。
よく偉人の言葉で全力に生きたか?なんてありますよね。明日死んでも今日が満足であったかどうか。
はっきり言って意味がわかりませんでした。
そんな全力に生きて疲れないのか?とかそんなに毎日忙しくしてられる?とかですね。
それらは全て自分自身が物事に受け身であったからに他なりません。
幸運は向こうからやってくるものだとサンタクロースを待っている子どものようだったのでしょう。
いまは分かります。
この時間を自分を成長させる何かに費やせているか。
常にオンの状態で居られているかどうか?
ただただ消耗してないか?
オトンは思った。
大人になっても時間を有効に使えるようになりたいです。
スケールは人それぞれ。
未来も価値観もアクションも幸せも自らの時間の使い方で何倍にも膨らむと思います。
それに気付けるか気づけないかはあなた次第。
ではまた!