有名ブロガーさんが読者の恨みを買って刺し殺されるという痛ましい事件がありました。
有名といっても本名は明かさずブログ上はハンドルネームでした。
わたしは恥ずかしながら事件後に本人を知ったのですが、広く名前を知られるかたは多くの読者やファンを集めますからいろんなタイプの方がいることを知っておく必要があると思います。
あのジョン・レノンもファンの放った銃弾に倒れたのはビートルズ世代じゃないわたしでも知ってます。
愛しさ余って憎さ百倍
という言葉があるように好意を抱いているファンや近くにいるひとでも逆鱗に触ることでいつ恨まれてしまうことになるのか分かりません。
また職場やプライベートでもいろんな方からDVの話もよく聞きます。
もちろんなにかの原因がなければそういうことは起きないわけです。
しかし精神的に追い詰められる理由とはなにも直接攻撃されたからだけではなく酒癖や被害妄想癖などコントロールできないいろんな原因もありえます。
そして今回のようにネット上のトラブルということで面識のない人間同士がテキストのやりとりから殺人につながるなんて事も起こるわけです。
活字の戦争ですよ。
信じられないですが言葉の暴力や精神的苦痛は活字で十分起こり得ます。
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いろんな人がいるそれが社会
わたしは企業でサラリーマンをしていますが、このところ頻繁に懲戒処分を目にします。
パワハラ、セクハラ、横領、窃盗、詐欺、暴力事件などなど。
ガラの悪い会社になっちゃったなぁという印象。
以前はそんなに大きな会社ではなかったのですが従業員が増えたことでこれが度々起こるってどう思います?
最初は不信感から同じ会社員でありながら憤りを感じてやるせない気持ちだったのですが、ある種のあきらめとあることに気がつきました。
いろんな人間がいる
ということです。
十人十色であるように一万人一万色なんです。
日本における犯罪率は直近の数字で10万人あたり2,000件の発生件数ですから2%の発生率ということです。
100人いれば2人は犯罪を起こす可能性があるわけです。数万人規模なら数百人なのです。
つまりそういうことです。
同じ会社に勤めながらも信じられない仲間なんて悲しいですね。
あらゆることを認めること
人から恨みを買ったり喧嘩となってしまうのはその人の信念であったり思いに反してしまうケースや身体的なコンプレックスや言葉による暴力などのあらゆる認識ズレが招いてしまった結果など考えられます。
つまり、許せない心が怒りの感情を生んだわけです。
では許せなかった原因はなんでしょう。
案外「些細」なことではありませんか?
言い方を変えれば大したことのないことに腹を立てていませんでしょうか?
そのつまらなさ故に反論するからマッチポンプになるわけでいちど火がついてしまうと簡単には消せません。
よく評論家の方々が炎上するのを目にしますが評論とはそういうものかもしれませんが争いを望まないなら相手をいかに認めるかを考えてみてもいいのでは?
はずかしくなるぐらい些細なことに腹を立てていないか?
Noといえない日本人
という言葉が30年ぐらい前はあったのですが現代はNoしか聞こえないような気がしなくもありません。
相手を思いやる、譲り合うこれができないと正義をかざした争いが起こるだけです。
相手にバカにされた。
それがどうしたというのです。
本当は認められたいのでしょうか?
逆もしかり。
人をバカにしてはいけません。
人のふり見て我がふり直せです。
言論の自由とかいって不自由なことになりませんか?
それでも相手を思いやれないのであれば関わらないことです。
命を落としては何のために生きてきたのか意味がありません。
そんなことのために今まで生きてたのですか?
そんなことで命を落としてしまうのですか?
感情的であっても短絡的であってはいけません。
冷静になって人を恨まず思いやりを忘れずに。
わかった?ちびどん
わたしのいうことをたまには聞いてよね!
認めます
たまにはいうこと聞きますね
わざとかよ!