ブログときどきオトン

ブログとオトンの成長の記録

ブログとオトンの成長の記録

スポンサー

さよなら吉野家!築地の消えゆく歴史



さよなら吉野家1号店 消える緑の丼や箸置き、裏メニューは… 築地最後の店長「おいしい牛丼、豊洲でも」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00000010-withnews-soci
f:id:coizne:20180928135942p:plain

〈記事によると〉

1926(大正15)年から、築地の魚河岸で働く人たちの胃袋を満たしてきた吉野家。1959(昭和34)年から現在の場所で営業する「吉野家築地一号店」が市場の豊洲移転とともに閉店し、築地での92年の歴史に幕を下ろします。BSE(牛海綿状脳症)問題で米国からの牛肉の輸入がストップした時も、国産牛を仕入れて牛丼の灯を守り続けた1号店。緑色の丼や壁にある箸置きなど、あとわずかで見ることができない「聖地」の風景を、朝日新聞の竹谷俊之カメラマンが360度カメラで撮影。立ち会った原田和樹店長(30)や吉野家の社員たちが思い出を語りました。

スポンサーリンク




〈この記事への反応〉

  • 今週、築地に行ったついでに見てきた報道も手伝ってかお客様も多く、撮影している人もいた会社にとっては1号店の閉店はさみしいだろうなと思った築地の客は古くから通っている人が多いから、いろいろな問題があった時も市場と共に頑張ったんだろうなと思った おつかれさま!
  • 初めて築地に買い出しに行って少ない給料で食べた一杯の牛丼。忘れられません。最後の一杯もご馳走に伺います。ありがとうございました。
  • 30年前の子供の頃、内地に出てきて初めて吉野家の牛丼を食べたとき、こんな旨いものがこの世にあるのかと思った。その後色々旨いものを食べたけれど、あの時の思い出はずっと残っている。
  • もともと吉野家の発祥は日本橋。日本橋から市場移転と共に築地に移転。当然豊洲に市場が移転すれば吉野家も豊洲に移転。市場に働いている人相手の商売だったから市場と一緒に移動するのは当然の流れ。

吉野家1号店いきました?

築地の目の前で働いてるけど行ったことない
築地だとついつい魚が食べたくなるからなぁ

スポンサードリンク

このブログについて  広告に関する免責事項 アクセス解析について RSS

© 2017-2024 ブログときどきオトン