この記事が話題になっていたので気になって読んでみた。
「非正規妻との「平等」家事分担にモヤモヤする、管理職夫の言い分―「年収低い方が家事」は合理的なのか」
全文は以下より。
最近わが家も共働きを始めたので自分なりの意見を述べたいと思う。
うちの場合はもともと共働きではないので記事の方と少し境遇が違うが。妻がが正規雇用から非正規雇用に切り替えたなどということもないし、もともと一緒に暮らし始めた頃からほとんど主婦だ。
なのでほぼ1:9の割合でわたしは家事ごとなどほとんどやったことがない。
下手に手伝おうものなら妻が教える手間が増えかえって邪魔になるか、完璧主義者ゆえ中途半端な手伝いでは納得のいかない仕事ぶりに注意を受けるだけだから手伝わないほうが無難だったのである。
そもそも家事とは
精神的自立ができていない男子諸君にとっては家事とはお母さんの仕事、つまり妻の役割だったりする。
職場が自分のフィールドあるとすれば家庭は妻のフィールドとして考えるのは普通だ。家事は大事な家庭の営みである。
しかし、夫婦共働きとなると事態は一転してしまう。夫婦共に仕事を中心に考えるから家事は作業的なポジションに降格してしまう。といって放棄できるわけでもなく仕事だけに集中することもできず板挟みとなるのが実際とのころである。
まぁ主婦であっても毎日の献立を考えたり洗濯機を1日2回も回すなどかなり作業レベルに近かったりもするが、金を稼ぐといった仕事に比べて金を産まない家事は二の次になりがちである。
それは何故か?ワークライフバランスの関係でいえば仕事から帰ってきた後の家事はワークの延長でありライフではないという感覚にあるためだ。
そのため会社でのワークから開放されても自分の時間が得られるわけではなく、家事といった新たなワークへ仕事場が切り替わるだけだ。
さらに子育ての負担
本件も子どもがいる家庭が舞台となっているが夫婦共働きで子育て奮闘中という設定はわが家も同じである。
子供の宿題の世話もこれまでは妻が面倒をみてきた。しかし長女が中学生になると勉強も難しくなるので学習塾に通わせている。
わたしはどちらかというと勉強は本人のやる気の問題が大前提なので親がつべこべと口を出すものではないと考えているのであまり教育熱心なほうではない。
妻にしてみると宿題や補習的なところも親の役割だと考えているようであるが、結局のところ自分では手がおえなくなり塾に任せているが当の本人のやる気とは関係なかったりする。
勉強は塾に行っているから勉強しているつもりなのかもしれないが、やるのと実力が付くのはまったく関係がないのだが。
こうして塾に通わせたことで勉強を教える負担は下がった、つまり教育を外注化したということになる。
家事の見直し
間違った知識さえなければ家事の工数はどんどん減らすことができる。
例えば食洗機に皿を洗わせたり、洗濯機も乾燥機付きにする、ルンバに掃除させる、冷凍食品やコンビニのお惣菜を料理に活用するなど。
こういったことを家庭内で提案したり実践したりするのは夫の役割ではないかと思う。
サラリーマンであれば会社でも似たようなことをやってはいないか?
削減目標と費用対効果を見込んで業務改善によるコスト削減計画を建てるのだ。
もちろんそれはお互いの家事の工数負担を下げるためでもあるがやはり家庭内は妻の聖域といえよう。
ならば妻を思えばこその家電選びや設備投資を検討するのも夫の務めではないかと思うのだ。
年収と家事
主婦に給料を支払うと仮定すると年収1000万円ともいわれる。それだけ家事はやることが多い。
なので家事を工数単価に換算してかつ、それぞれの仕事の年収と比較すると割合で分担するのも分からなくはない。
しかしこの場合夫は管理職、妻は契約社員という立場となっている。
ZOZOなど話題にあがっていたりするが企業における非正規社員の割合はとても多い。
半数以上が非正規雇用というのもわたしが働いている会社をみてもそうだ。
その非正規社員であるが基本的に作業レベルに近い仕事を任せられるのが普通だ。そして裁量と責任が無い分精神的には楽に働けるとは思う。
とくに奥さんであれば少しでも楽でありたいと考えると思う。残業や仕事を家に持ち帰ってまでやる人は少ないだろう。
しかし作業的には楽かというとそうでもない。
理由は明らかで正社員が決めたことを実行するのが契約社員だからだ。必然的に作業のみを行うことになる。
なのでこうだ。
精神的には楽
肉体的には苦
いっぽうで夫だが管理職の立場であれば基本は部下が大抵のことはこなす。管理職はマーネジメントに徹するか部下のフォローにまわったりする。
なにかと気苦労も多いし予算目標などのプレッシャーや部下や上司との人間関係もあるだろう。
つまり、
精神的には苦
肉体的には楽
ということになる。
バリバリ現役とはいえ若い頃よりはパフォーマンスは上がっていても体力は落ちているもの。
この状況からしても家事という作業を分担するにあたっては肉体的に楽である夫が負担しても良いと思えるが、実際は残業など拘束時間や通勤時間が長かったり、外回りの仕事でクタクタかもしれない。
なので年収を度外視して考えると50対50だと思う。
平等であること
これはわたしの性格的なものだがあまり優劣をつけるのが好きではないところがある。とくに夫婦間においては……
夫婦はビジネスパートナーではない。
相手を打算的にみれば理不尽なことも多い。しかしそういうもんだという気心もなくて夫婦がうまくいくのか?
結局何が言いたいかというとこの話には愛が無く、とても打算的な関係に思えそもそも夫婦として家庭が成立するのかも怪しいと思えた。
まぁ夫婦互いの立場が平等でなければそもそもという話もあろうが今回の話は最初から年収格差を例に挙げているところから平等とは呼べないと思うのだ。
話題をそらしているようで申し訳ないが夫婦に平等などあり得るのか?と思ったりする。
互いのポジションで優劣はあるものだ。
そういう意味では今回の話は夫が優位でありたいということだと思うのだが。
年収は夫が多くても財布は妻が握ってないか?まぁなんでも良いんだけどそういうわが家も主導権を握っているのは妻だ。
まぁ自分がやりたいことがてきれば家のことはそれでいい。また精神衛生的にも会社でマネージメントする立場なら家庭や社会人クラブ活動などでは部下を体験しても良いと思う。
四六時中マネージメントに徹しなくても良いだろう。任せること任されることで愛情も生まれてくるのだし。
会社でマネージメントをしているとむしろ部下に同じことを言われないか?Aさんはあーだからこーだ不平等だと思いますといった不満だ。
能力差や仕事へ取り組む姿勢は人それぞれだ。そんな人のことを心配しているほうが無駄であり、能力面において自分が優れているなら同僚を差し置いて自分が出世すればよいだけの話だ。
だいたい現状に文句を言うヒトは自分を伸ばすこともなく隣の芝生ばかりを気にしている。
立場に平等を求めるヒトはそういう人たちだ。
優勢だろうが劣勢だろうが勝ち組だろうが負け組だろうがいいじゃないか。とくに夫婦間においては。
まぁどちらが先に愛想をつかすのも時間の問題かもしれないが。