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ゲームが下手なわたしが仕事とゲームの共通点に気づいたこと

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仕事と遊び。

オンとオフなんて言うけど、ゲームはわたしのオフタイムを演出してくれる大切な時間だったりもする。

ワークライフバランスてやつ

仕事で目一杯になると極度のストレスが溜まりかねないし、家に帰ってきたときぐらい頭を空っぽにしたいもの。

幸わい家族がいるとひとり暮らしの時と違ってなにかと賑やかであるし、何もしなくとも衣食住を「受け身」で与えてもらえる。

楽でいい。

家でのわたしは完全穴だらけの無能なやつだ

しかし最近変化を感じてきている。

20〜30代の頃はオンオフの境というか会社のなか以外では仕事のことなど一切考えなかった。

考えただけでも嫌気がさしてくるし、家で仕事でもしようものなら吐き気すらおぼえたりとにかく仕事のことを考えるのが嫌だったように思う。

しかし今の仕事に就いてから17年が経つが人間関係はともかく仕事が嫌になったことは1度も無い。

いろんな場所や色んなところで様々な仕事をしてきて人生紆余曲折あったけどいまの仕事は天職とは言えないがこだわって働いていける職場として納得して働けている

給料を貰いに会社に行く感覚もないから給与明細も年に1度ぐらいしか見ないし、銀行振込なうえ昭和の家族のように給料日におつかれさまと感謝されるわけでもないから余計に収入に興味がない。

わたしが仕事で何より重要にしているのは成長実感だけだ。

イチロー選手の引退会見での発言にあったように「少しずつでしか自分は変えられない」とは言いかえれば少しずつでも成長していけると感じられたことの方が大きい。

偉大な選手に対して失礼だがわたしもまったく同意だ。

成長とは仕事のスキル以外に一時は昇進での成長実感を感じることがあった。

マネージャーの仕事を3年やったが組織をマネージメントするというより牽引するためプレイングマネージャーを目指したがどうもマネージメントが合わずにプレーヤーに専念させてもらった。

サラリーマンだって現役スポーツ選手と変わらないと思っている。

唯一違うとすれば立場と年収の違いくらい。

指導者よりプレーヤーのほうが年収が高いプロスポーツ選手に比べて企業の場合多くが逆だ。

責任と裁量の度合いから役職者のほうがサラリーが多い。

しかしカネの話は今回のポイントとは関係なく論点がズレるので無視する。

マネージャーが向かなかったわけ

グループワークや仲間たちとワイワイとやるのは良いもんだと思う。例えばBBQとかドライブだ旅行だというのもなかなか楽しいし経験は少ないが嫌いではない。

組織は協調性が求められるしスポーツでも個人競技より団体競技が好きだ

しかし、仕事場においてはどうにもこうにも方向性が合わない人間が存在する。

能動的でないうえに手を汚さない仕事を無難にこなそうとするタイプ。

本当に給料をもらうためだけに会社にきているのか?と感じる人もいる。

部下にこういうメンバーが多いととても手を焼くのだけど、1から10まで言わないと動かない。挙げ句の果てには監督の采配が悪いからということになりマネージャーの責任になる。

これには仕事独特のヒトの価値観があるのだと思うが、責任ある仕事や重責を担うことをとにかく嫌う傾向が強い人が多い。

偉くなりたくないというのはわたしも同意だが「いい仕事がしたい」ならそれとこれとは別だ。

また立場によって見える景色も違うからマネージャーからすると会社や組織の置かれた状況を鑑みると「悠長にしてられない」立場に置かれていることも伝えても理解できない。

成るようにしかならないと開き直っているのか腹をくくっているのかわからないがとにかく時間だけが過ぎていくことに焦りはないか疑問である。

ヒトの1日の大半を費やすこと仕事においては、無駄な時間があってはならないと思う。退屈なだけだし成長実感も得られない。

なのに何故なのか全く理解できないでいた。

ゲームが下手なわたし

いまのゲームを9年も遊んでいるが飽きることなく毎日プレイしている

誰よりもこのゲームが好きだからながく続けてこられた。

続けてきたというより気がついたら時間だけが過ぎていたというほうが正しいか。

これだけ長いこと遊んでいてもゲームの腕前は初級者レベルである。

とにかく下手だ。まあ少しカッコつけても中の下だ。

だからだんだんとプレイ歴との乖離がひどくなってきているのだが、強がって歳のせいによる衰えとしている。

それにしてもどうしてこんなに下手なのか考えてみることにした。

答えは簡単だった

仕事がオンの自分であるようにゲームはわたしのオフを演出するものだ。

つまりオフ状態の自分は誰がみてもダラシない中年オヤジだ

人よりも何かに秀でているわけでもなくただ楽しめれば良いというスタンスだ。

プレイに関していえばローリスクに徹した堅いプレーを好むためゲーム中の駆け引きも淡々としている。

まぁゲーム的にいえば「殺意が低い」ということになる。

MOBAを将棋のような戦略的ゲームと捉えているからとはいえまぁ早い話がロートルでしかないのだがそれは自分も認めている。

がしかし、好きだという熱量に対して結果が伴いないのはどうしたことか?と考えてみたが今まで気がついてもいなかったことがひとつだけあった。

リスクもとらなければ学びも誰よりも足りていないということだった。

言い換えれば仕事で仲間に不満を抱いていた感情そのものがいまの自分だということ。

プレイ時間だけは人一倍かけているのに中身が無い。経験則より知識や理解度が必要な対戦型ゲームにおいて圧倒的に他者に姿勢が劣っているからだと思う。

仕事ではとにかくリスクをとるのが好きだ。

誰もやりたがらない仕事や自分にしかできない仕事をどんどん進めていく。

売り上げに直接貢献するわけでは無いが地味に貢献している自信があるのも心の支えだ。

リスクのない仕事は作業でしかないし退屈だ。しかもほとんどの作業的な仕事はプログラムを書いて自動化しているから自分の代わりに働いてくれている。

仕事を飽きずに自分のスキルを高めながら新しいことに取り組むのはとても楽しい。

しかしゲームの中の自分は退屈なやつだ。このギャップはなんなんだ!?と思っていたが問題は仕事と正反対の自分でありオンとオフによって生まれた甘えでしかないということに気がついた。

ことゲームにおいては仕事との共通点など無いと思っていたし、意外にゲームの知識や技術から仕事にフィールドバックできるノウハウなどゲームから学んできたつもりだった自分にとってゲームは先端的なものであったし不真面目だなんて1度も思ったことは無かったのだけど。

仕事もゲーム同じことか

自分の中でも仕事を常に中心に据えているのは良いことだと思う。

仕事で成長実感を得られるのは生涯続けられると思っている。そうでなくては働きたくもないし何より会社や社会にも貢献しているとはいえない。

いっぽうでゲームや趣味においても結局求められる能力は同じなんだと思う。

その情熱と行動力をゲームに活かせたらもっと上位のランクに行けるはずだ。

まだその二の足を踏みながら実行に移せないでいるのと同時に職場にも仕事に熱くなれないやつらも多いのではないか?

心に火が点けられずにコミュニケーション障がいを起こしていたりストレスを溜めているのではないかと思うようになった。

仕事とゲームの共通点を感じながらも職場の仲間たちへの理解も増したような気がした。

ただ自分にとってはそれはオフなんだけどな……と思いながらもオフだからといっていけないわけじゃない。オンに向かわせる火を灯してあげるだけだ。

そしてゲーマーとしてのわたしにも火が付けばよいのだが。

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