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ブログとオトンの成長の記録

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働きかた、働くこと、働く意味とは

ここ最近いや今月に入ってからというものの忙しい毎日が続いている。

仕事が忙しいうえにゴールデンウィーク前とあって余計に仕事が立て込んでいる。

さらに10連休となるため休み明けも予定でいっぱいだ。

忙しいことは良いことなんだけど心に余裕がないのは少し落ち着かない。

ブログを書こうにもネタを考えるのも億劫だ。

サラリーマンの良いところでもあり悪いところでもあるが仕事が次から次に降ってくるというのはありがたい反面、忙しさで気がつけば身も心もボロボロということもある。

いやいややらされている感がとてつもなくあるわけではないが、果たしてこの忙しい毎日の後に何が残るのだろうかという不安はある。

高度経済成長期にみな忙しかったと思うがいつしか景気が下がり生き方を見直すひとも多くいたろうと思う。

この忙しい毎日は何のためのものなのか。

答えがあるわけもなくただ目の前のことに必死だ。

仕事にたいする拭えないモヤモヤ感

IT関係の仕事を20年近くやっているわけだがいつも思うことがある。

この仕事はミスで人が死ぬことがない。

長距離バスの運転手や飛行機のパイロット、建設現場のような身の危険とは無縁な仕事だ。

だから多少のミスも大したことないのだけど、意外にも細かいミスに腹を立てる人種が多いのもこの仕事の特徴かもしれない。

小学生の同級生の娘と食事をしたときに銀行のコールセンターで働いているという話だった。

「ああ、お客様相談センターね」

と軽く理解していたつもりだったが掛かってくる電話の8割はクレームだという。

残りの2割は暗証番号がわからなくなったとか、ネットバンキングの操作が難しいだとか、逆にIDとパスワードだけで出金できてしまうネットバンキングのセキュリティが心配だというご意見までも電話で掛かってくるそうだ。

まあ客観的にみると朝から晩まで文句を聞いてるわけで気が滅入るというのもよく分かる。

それどころかクレームをつける顧客に対して銀行に大した額を預けているわけでもなく費用対効果に合わないぐらいな言い分をしていた。

理不尽で気の毒だなと思ったことをいまでもよく憶えているが、いまの自分も何かにたいしてイライラしているのは当時の彼女の気持ちと変わらないような気がどこかしているからではないかと思うようになった。

わたしも彼女たちも企業のなかでは大変役に立っているのだ。わたしでいえば社内の人助けばかりをしているような気がしてならない。

それはそれで良いのだがわたしは社内の人間から給料を貰っているわけではない。

ちゃんとビジネスパートナーがいるわけだが営業マンのように直接顧客と会う機会は少ないし、お客様からすれば顔を見えなければ喜んでもらえているかもわからない。

これだから仕事なのか政治なのか会社の中ではつまらないと思える出来事がたくさんある。

昔からこんなだったかな?こんなつまらない職場だったかなあ?

企業活動とは人にモノやサービスを売って利益を稼ぐものではない。人々を心を満たして貢献するものでなければ何の価値があるというのか。

介護の仕事をやりたいとは絶対思わないが人の役に立っているという意味ではいまのわたしより100倍は貢献しているはずだ。

そう言い切れるほど無力な感情が自分をさらに覆って心を閉ざしてしまってきている気がする。

子育てや家族の生活があるからいまの仕事を辞めるわけにはいかないが、子どもが独立するころには今とは違う道を歩いているような気がしている。

いまの企業では早期退職制度を使わせなければ熟年層を会社に置いておくことができない。

中年サラリーマンを見ていてもいいホスピス病棟の患者のようにもみえる。ただサラリーマン人生の終活にしかわたしの目に映らない。

わたしはいつも社会に貢献できる何かを常に探している。

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