こんにちは小さなことが気になるおっさんのこーんです
人を見た目で判断してはいけないと思っているが素行で人はある程度どんな人間なのか見当がついてしまう。
特に分かりやすいのは横断歩道の渡り方についてだ。
横断歩道の渡り方
横断歩道を渡るには以下の方法がある。
- 信号が青に変わるまで待ってから渡る
- 信号機の指示に従わず無視して渡る
当たり前だが前者が正しい横断歩道の渡り方だ。しかし自宅前の横断歩道を朝の通勤時間にほぼ8割の人間は無視して渡っている。
理由はそれぞれだろうがおおよそ
- 待つのが面倒くさい
- 車が走っていないから
ふたつの意見に分別されると思われる。
待つのが面倒くさい。待つのが好きな人はまずいない。その証拠に10人中8人が待たずに信号を無視するのだから。
信号を無視することによって法を犯しているわけだが自らの考えを優先して法を無視してしまう。つまり自己中心的な人間であることが分かる。
ふたつめの車が走っていないから信号を無視して渡る人間はどうか。前者にくらべて理屈が通っているように見えるが法を犯していることには変わりない。待てない人間にくらべて理屈ぽいだけだ。
このふたつ以外にも最初から信号を意識していないという論外のパターンもあるかもしれない。法を知らないのか歩行者が優先されていると勘違いしているかのどちらかだ。
毎朝この光景を見ながら思う。どうして信号というルールを守って道路を渡れないんだ?
小さなことにこだわっている自分のほうがよっぽど理屈ぽくただ五月蝿いだけなのも分かってはいるが気になるものは気になる性格なのだからしかたない。
しかし、この信号無視をする輩も小学生がいると信号無視をして渡らない。
つまりこうだ。子供に対して大人としての模範を示そうとしているのだろう。
しかし素行を見ているわたしからするとただの偽善者にしか見えない。見えないところでは悪さをしてあどけない子供の前では聖人となる。
素行の悪さに加えて偽善者という重ねがけで印象が悪い。
世論がこの8割の偽善者によって意見されているとするなら世論なんていい加減なもんだ。だから正直者が馬鹿をみない世の中ではないのだ。
と人間観察をするといろんな考えてが湧いてくるものです。
あなたの素行も誰かが見ていますよ。
気をつけましょう。
ではでは。